「正しい自己否定を 客観的な自己分析を」
こんにちは。今回は正しい自己否定について触れていこうと思います。
と、言いますのも私はよく
「私は最も価値のない人間です 寧ろ人間の基本単位
2,000,050くま=一般人くらいの認識」と言っています。
客観的な事実を含め、これが正しいことは公的機関により証明されていますが
厳密に言うと実は私は「最も価値がない」のではありません。
私の下に位置する人間が48+1=49人います。
この事から、私は下から50番目の人間であることと、
下から50番目の人間であっても
2桁+1桁の繰り上がりのない加算は行えると言うことがわかります。
さて、50番目。貴方はこの数字を見て多いと思うでしょうか。
貴方の職場、または学校の人数、はたまた取引先等を思い浮かべてみてください。
(思い浮かぶものがない? 気が利かなくて申し訳ございません。
しかし、それは貴方が少数派なのであって、私が気遣う所とは異なるように思えます。
特に、貴方が無所得者であるのならば尚更です)
高い。低い。平均的な位置。さまざまでしょう。
しかし問題なのはこれは貴方の身近な環境でなく
全人類の中で下から50番目という位置にあると言うことです。
(或いは、身近な環境を思い浮かべることが出来なかった
無所得者の方が重大な問題かもしれませんが)
数字で示すと50/6973738433。百分率ですと、ええと・・・計算するのが馬鹿らしいですね。
たったこれだけの情報から、3つもの重大な事が読み取れます。
1つ目は、私が最も価値がないと言っても差し支えないほど下位に位置していると言うこと。
2つ目は、下から50番目の人間は電卓の使い方が理解できないと言うこと。
3つ目は、残念なことに身近な環境が浮かばない無所得者でも電卓が使えると言うこと。
まぁ、言うまでも無く今回の結論は1つ目だけで事足りるのですが。
下の2つはちょっとしたお遊びだと思って受け流してください。
この事により、私の数々の自己否定的言動は
決して自暴自棄的な、でたらめではなく客観的に見て正しいと言える。
と言う事が一番重要なのです。
少なくとも、顔が見えないことをいい事に無責任な発言をしている
インターネット上の言葉よりは、信頼性があり、きちんと考えられているわけです。
それでは、本日はこれでおしまいとします。
こんにちは。今回は正しい自己否定について触れていこうと思います。
と、言いますのも私はよく
「私は最も価値のない人間です 寧ろ人間の基本単位
2,000,050くま=一般人くらいの認識」と言っています。
客観的な事実を含め、これが正しいことは公的機関により証明されていますが
厳密に言うと実は私は「最も価値がない」のではありません。
私の下に位置する人間が48+1=49人います。
この事から、私は下から50番目の人間であることと、
下から50番目の人間であっても
2桁+1桁の繰り上がりのない加算は行えると言うことがわかります。
さて、50番目。貴方はこの数字を見て多いと思うでしょうか。
貴方の職場、または学校の人数、はたまた取引先等を思い浮かべてみてください。
(思い浮かぶものがない? 気が利かなくて申し訳ございません。
しかし、それは貴方が少数派なのであって、私が気遣う所とは異なるように思えます。
特に、貴方が無所得者であるのならば尚更です)
高い。低い。平均的な位置。さまざまでしょう。
しかし問題なのはこれは貴方の身近な環境でなく
全人類の中で下から50番目という位置にあると言うことです。
(或いは、身近な環境を思い浮かべることが出来なかった
無所得者の方が重大な問題かもしれませんが)
数字で示すと50/6973738433。百分率ですと、ええと・・・計算するのが馬鹿らしいですね。
たったこれだけの情報から、3つもの重大な事が読み取れます。
1つ目は、私が最も価値がないと言っても差し支えないほど下位に位置していると言うこと。
2つ目は、下から50番目の人間は電卓の使い方が理解できないと言うこと。
3つ目は、残念なことに身近な環境が浮かばない無所得者でも電卓が使えると言うこと。
まぁ、言うまでも無く今回の結論は1つ目だけで事足りるのですが。
下の2つはちょっとしたお遊びだと思って受け流してください。
この事により、私の数々の自己否定的言動は
決して自暴自棄的な、でたらめではなく客観的に見て正しいと言える。
と言う事が一番重要なのです。
少なくとも、顔が見えないことをいい事に無責任な発言をしている
インターネット上の言葉よりは、信頼性があり、きちんと考えられているわけです。
それでは、本日はこれでおしまいとします。
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